こんにちは、泳げ鯛焼き君♪です。
1月17日は、25回目の阪神淡路大震災の日でした。
神戸に暮らしていると、どうしてもこの日を重く考えずにはいられません。
明け方からお祈りの人々の映像が映し出され、一日中あの日の記憶が語られます。
10月ごろから、ずっとその準備の様子が伝えられるのも年中行事。
その時、神戸にいなかった私は、一人一人の記憶や経験を聞いたり、写真で見たりしてその思いを少しでもくみ取ることができたら、と思うだけです。
幸い今年のこの日はほかに用もなかったので、新長田に暮らす義母を誘って商店街を歩いてみました。10年前に、結婚当初暮らしていた町です。すっかりさびれてしまいました。昨年、市役所の分庁舎が新しくオープンして、人口は震災前と同程度に戻ったというけれど、シャッター街は止まりません。
新しいお店もできるけど、しばらくするとまた閉めてたり、変わっていたりの繰り返しです。
写真展示を見ながら、義母の怪しくなった記憶を一つ一つ聞きながら、歩きました。
ニュース映像で見慣れた景色が、まさにこの場所だったり、この写真はこっちからのアングルだったのね、と気づいたり。
終戦後の焼け野原より、むしろ壊れた建物が近代的だっただけに、壊れた跡が恐ろしい感じです。
火の手が上がり、煙が上がる商店街を、人々は無関心そうに歩いています。
自分のこと以外、かまう余裕もなかったのでしょうね。その表情が、リアルで。
三陸からのきづなプロジェクトで駆け付けているコーナーもありました。
でも、10年前より圧倒的に歩いている人がまばらです。
三宮の東遊園地には多くの人が行くのかもしれないけど、(昨年は思ったほどでもなかったです)、この商店街にはあまり集まってこないようです。こういうところも、風化したといわれるゆえんでしょう。
少し前から気になっていたランチのお店に入ってみました。
エビフライ、ビフカツ(とんかつじゃなくて)、シチューやパスタにサラダがワンプレートで出てきて、ご飯はコーンライスが選べます。
なかなかのボリュウムでした。
商店街のお店も、肉屋さん、魚屋さんなど以前はなかったけど500円のお弁当をやっていて、きっと市庁舎で働く人向けのお弁当だろうな、と思いました。
でも、12時過ぎても食べている人はほとんど見かけず。
街に出てきてもらうために、あえて庁舎内に食堂を作ってないと聞いたけど、、、
いろんな話を毎年聞いていると、少しずつ変わってしまう部分もあるけど、それも含めて聞いておける間にしっかり聞いておこうと思う。
義母を送った後、まっすぐ帰る気がしなくて、一人でビーナスブリッジに行ってみた。
神戸の街が一望できるスポット。
昔、松井秀喜が5連続敬遠をされて負けた後、ここにきて人知れず泣いたという話が、そっと伝わっているらしいが、真偽のほどはわかりません。
ここから、今の神戸の街を眺めていると、火の手が上がったり、煙が立ったり、救急車のサイレンが聞こえてくるようで、胸が苦しくなりました。
今の神戸は、こんなにもきちんとしているのに
あの、ぐちゃぐちゃになった街をどうやって一つ一つ片付けて、新しく立て直したのかと思うと、人間の力の大きさを思い知りました。そして、いざその当事者になった時、私は、どれだけできるのだろうかと自分に問いました。
ただ、怖い、としか今は思えない。
姫は、お弁当をもって王子動物園で思い切り楽しんできたようです。
それではまた、ごきげんよう(^-^)/
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