沖縄返還40周年に思う2012/05/17 17:07

こんにちは、泳げ鯛焼き君♪です。

二日療育園に行かなかったら、エネルギーをもてあますのか、なかなか夜寝てくれない姫ですが、今日はリハビリですよ~(笑)

朝もしっかり食べました。

私のお弁当は、昨日の生姜焼きをお取り置きしておいたものを詰めました。

姫の給食は、八宝菜と中華風酢の物、中華スープにご飯。
どれも好きな味だったのでしょ。完食でーす♪
八宝菜に入っているお肉も、近頃むしゃむしゃして返品しなくなりました。
昨夜の生姜焼きも食べられました。

時間はかかるけど、ちゃんと噛めるようになってきたみたい。

ただ、春雨が柔らかかったのでちゃんとフォークに引っかからず、自分で食べられなかったのが残念みたい。

今、自分でフォークに刺したお野菜を食べるのが楽しいみたいです。
柔らかくてカボチャが刺さらなかったり、途中で人参が落っこちたりすると悲しくなるのですが(笑)

これも自立の一つと嬉しく思ってます。

そんな折、今日のデザートのゼリーをスプーンですくってみたものの、口に行く前に落ちてしまったので大泣き。憎っきゼリーめ! 食べてやらない。
とばかりに残しました。かわいそうなゼリーちゃん。

お腹がよくなったところで、リハビリも頑張った。
今、お気に入りは車のキー。
これを見せると、どんどん歩く。
後ろ持ってないことも忘れて、お部屋の半分くらいまで歩いちゃいました!
すごい。

ただ、腹筋を鍛えるための運動やら骨盤を鍛える姿勢をさされるといやいやで、かなり不満げですが、それなりに頑張るところが姫らしい。

お疲れなのでしょう、今すやすやとおねむです。

そんな時間が出来たので、ちょっと考察。

5月15日は沖縄返還から40年の記念の日だったようです。
私にとって、この出来事は幼心に焼きついた怖い怖い思い出です。

当時私の家は岡大の附属病院前の商店街で魚屋を営んでいました。住まいはその2階です。当時の岡大は赤軍派だかなんだかの活動が活発で、全国で5本の指に入ると噂されるほど。

しょっちゅうデモ隊が集まって「ワッショイ、ワッショイ」と気勢を上げていました。

なんで沖縄が日本に帰ってくるのに反対するの?

当時の私の疑問にちゃんと答えてくれる大人はいませんでした。

そして、調印の日が迫るにつれ、毎晩のように病院の前でデモです。
機動隊が来てジェラルミンの楯を持って整列。過激な学生たちを捕らえます。

ヘルメットに鉢巻、顔も覆って手には角棒を持った学生たちを一人、また一人と捕まえては、大きな黒い車にほおり込みデモ隊の気勢を削ごうとしていますが、そんなに簡単な話ではありません。血が出ている学生もいます。怪我をする機動隊員もいます。

双方がマイクを持って呼びかけたり叫んだり。

子供にとって、その戦いは恐ろしく、そーっと窓を開けて見ていますが、目の前で繰り広げられるやり取りは、テレビで報道されるような人事の騒ぎではないのです。

なんで、こんな怖いこと毎晩するんだろう。

調印式が行われていたそのとき、私はテレビの生中継を見ていましたが、このときもまだ街の中をデモ隊が叫んでいました。

「ワッショイ、ワッショイ」

あの当時、返還の条件に密約が噂されていて、基地も残したままでの返還には賛否両論あったと言うことを最近テレビドラマで知りました。

そして今、沖縄の人たちは本土復帰40年を嬉しく思っていないことも。

40年間、一度も記念行事は行ってこなかったそうです。
夢にまで見た本土並み復帰が一向に実現しないから。

あの時佐藤総理が言った「本土並み」とは、一体何を指していたのでしょう?今の現状を見ると、さっぱり解らなくなります。

鳩山総理が基地問題をほじくり返して、本土にも負担をと言ったとき、本土にある基地の全てが反対したのを知った沖縄県民は絶望感に襲われたと聞きました。

これだけの負担を強いられて、なお本土の人はそれを分かち合ってくれない。

今、福島の瓦礫を受け入れようとした自治体でも同じようなことが起こっていますね。絆とか言いながら、それが自分のところへ来るのは嫌。自分の子供だけは守りたい。

これではいけない、と思うのです。

沖縄返還を国民が一緒になって心から祝えるような日本にしたい。
どうすれば、基地の負担を軽減できるのでしょう。
私も考えなければ、と思います。
40年前、学生が訴えていたように、もっと声を出していかなければいけないのだろうと思います。

瓦礫処理については、確かに不安です。
だからこそ、政府や県や市町村に任せるのではなく、ただ反対するのではなく、どこにだったらどんな方法で受け入れられるのか一緒になって考え、受け入れ後も、きちんとその安全が守られているか定期的に検査、監視、保守などを住民が加わって行っていくべきじゃないかと思います。

子供を守りたい、自然を守りたい。
だからこそ、分かち合い一緒に考えなければと思います。

とはいえ、まだ何も行動を起こしてはいない私も偉そうなことは言えませんが。

そんなことを考えさせられた沖縄復帰40周年でした。

それではまた、ごきげんよう(^-^)/

丁度姫もお目めが覚めたようです。