今年の原爆記念日に思ったこと2013/08/08 23:46

こんにちは、泳げ鯛焼き君♪です。

今年の原爆記念日には、初めて気づいたことがあります。

生まれ育ったのは岡山です。
お隣の広島ほどではないですが、中国地方として広島のニュースは身近です。

原爆関連のニュースやドキュメンタリーなど、全国放送に比べたら数倍頻度が多いと思います。原爆記念館にも行ったことがあります。ただ、その時は幼すぎて、耐えられなかったというつらい記憶が付きまとっています。

いつも聞き流していたこと、

被爆者の証言で必ず語られる

「熱線を浴びた」

という言葉。

普通、空襲を受けて街が焼野原になったという話では、

「炎に包まれた」
「焼夷弾が雨のように空から降ってきた」

というのに対して、

「熱線」って何?

今まで、熱線という言葉に違和感はあったけど、炎と違うとまでは認識していませんでしたが、今年初めて「違う」と思いました。

それは、乳がんの再発防止に受けた放射線治療のせいだと思います。

私が受けた治療では、

放射線は、無味無臭、熱くも痛くもかゆくも、何も感じません。
台の上に寝て、大きな機械のどこから放射線が発せられているのかもわからないまま、ほんの2~3分で終わります。

それを25回受けました。

それだけですが、胸の周りにはノートを載せたように、ピシッと直角の日焼けがあります。半年経過して少しぼやけてきてはいますが。

この日焼け状態の部分が、汗をかくとかゆくてかゆくて・・・。

それなのに、熱い、熱風が吹き荒れ街中をなぎ倒し、ピカッと光り、ものすごい音もしたそうです。それだけ放射線を感じることができた量が飛んできて落とされたとしたら、そりゃぁどんだけひどいことになったか。

今ならある程度想像できます。

今ならわかる、とはあまりにもおこがましくて言えません。

想像はできます。

放射線治療も受けてみるもんだな。

戦争で犠牲になった方々の苦しみのほんの一端を感じることができたのだから。

想像すればするほど、なんと恐ろしいことだろうと思う。

こんな恐ろしい兵器を使われても、日本人はアメリカを恨んだり、なじったり、毎年毎年欠かさず謝罪の言葉を述べろなんて言いません。

こんな恐ろしい兵器は、世界中で二度と使われてはいけません。
こんな恐ろしい経験をほかの誰にもさせてはいけません。

と言っています。

本当にその通りです。

二度とこんなもの使わないでください。

心から祈ります。